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徳島地方裁判所 昭和31年(行)2号 判決 1961年10月12日

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

(一)  原告

「被告が原告に対し昭和三〇年四月一日付でなした免職処分は無効であることを確認する。訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求める。なお右処分が無効でないとすれば予備的にこれを「取消す。」との判決を求める。

(二)  被告

主文第一、二項同旨の判決を求める。

第二、原告の本訴請求原因

(一)  原告は昭和一七年国民学校初等科昭和一九年同本科各訓導の免許状を、又昭和二四年小学校中学校各教諭二級普通免許状をうけ、昭和一七年以来教員として徳島県下の阿川、石井、高原、石井浦圧津田(徳島市内)の各国民学校小学校歴任した上昭和二八年四月県下川田山小学校勤務を命ぜられ奉職中、被告委員会から昭和三〇年四月一日付で免職の処分をうけた。

(二)  しかしながら

(1)  本件免職処分は昭和三〇年四月一〇日原告に郵送された処分通知書に明記してあるように地方公務員法第二八条第三項に基きなされたところ、地方公務員がその意に反して免職されるのは同法第二七条により第二八条第一項第一号及至第四号所定の事由ある場合に限られるのであり、たとえ右記載が第二八条第一項第三号の書き誤りであるとしてもこのような重大な瑕疵のある処分はその効力はない。

(2)  仮りに右処分が地方公務員法第二八条第一項第三号によるものとしての効果があるとしても本件免職処分にはその前提となるべき免職の決議がないから無効である。即ち被告委員会では昭和三〇年春の学年末教員定期異動に際し原告を依願退職させることとしてその旨徳島県教育委員会に内申し原告にも退職願の提出方を勧告していたのであつて、本件処分は右勧告に失敗した被告委員会が原告の依願退職を既定のこととする異動計画が樹立し俸給予算も決つてしまつたところから当面を湖塗するために免職決議を経ずに処分日時を遡及してなしたものであり、このことは本件処分が昭和三〇年四月一日付であるに反し同年三月三一日付徳島新聞号外四月一日付同本紙に原告依願退職の記事が掲載されていること、同年四月六日にも被告委員会等が退職勧告のため原告方に来訪したこと、及び本件処分通知書が原告が右勧告を拒絶した同月七日の選八日になつて漸く発送されたこと等からも明らかである。

(3)  仮りに免職の決議があつたとしても、その会議については当時施行の教育委員会法同会議規則に違反して開催の告示がなく、又出席委員全部及び調製職員署名の議事録の作成もないから、このような決議は適法になされたものということはできず取消を免れない。

(4)  更に以上の決議及び処分が地方公務員法第二八条第一項第三号に基くものとして手続上有効になされたとしても原告には右条項に該当するような事由はないのであつて、それらは、原告が昭和二八年四月一日種ノ山小学校勤務を命じられながら同校から川田山小学校へ転任する筈であつた教員の転任拒否のため一年後にはよい所へ転出させるとの約束を得て川田山小学校への赴任を承諾したのに却つてこのときのことを根にもつて約束を守らず、又昭和二九年四月原告の病気欠勤中休職或は免職にすると言つたり果ては他から教員を補充してこれに原告の担任学級を担当させたりして原告に悪感情をいだいていた被告委員会や田中川田山小学校長等が、原告を職場から排除しようとして退職を迫りこれを拒絶された結果口実を構えてなしたものであるから、違法で取消されるべきである。

(三)  以上の理由で本件免職処分は無効であり然らずとしても取消されるべきものであるから、原告は本訴においてまずその無効であることの確認を求め、これが容れられないときはその取消を求める。

第三、被告の答弁及び抗弁

(一)  の事実は認める。

(二)(1)  同(二)の(1)事実中、昭和三〇年四月一〇原告に到達した本件免職処分通知書に原告主張の如き記載のあつたことは認める。しかしながら右条項の記載は係員の誤記によるものであつて本件処分は地方公務員法第二八条第一項第三号に基くものであり、昭和三〇年四月三〇日原告到達の書面でその旨訂正通知済みである。

(2)  同(2)の事実中退職勧告及び処分通知書発送日時の点は認めるが、本件免職処分の決議がなく右処分が日時を遡及してなされたとの点及び被告委員会が徳島教育委員会に依願退職の内申をしたとの点は否認する。又新聞には単に退職として掲載された筈である。被告委員会では徳島県教育委員会の指導助言の下に昭和三〇年三月二三日原告の退職を、同月二六日地方公務員法第二八条第一項第三号による免職を、同月三一日右免職処分を学年末教員定期異動と同時に翌四月一日付ですることをそれぞれ決議しているのであつて、前記退職勧告は原告の体面等を考慮し原告がこれに応じるときは免職決議を取消し依願退職にするよう取計う積りで好意的にしていたのである。

(3)  同(3)の事実中、右各会議につき告示及び議事録の作成がないとの点は否認する。告示は適式の告示書(乙第一号証の二乃至四)を掲載してなした。又被告委員会会議規則では議事録の署名は委員長指名の委員二名と調整職員を以つて足る旨規定され、これに従つて、早雲、横田両委員の署名した議事録(乙第一乃至第三号証)が前叙会議の都度作成されているのであつて、議事録調製職員の署名の欠けている如きは決議の効力を左右する事由となり得ない。

(4)  同(4)の事実中、昭和二八年四月の際当初原告を種ノ山小学校に同校勤務の教員を川田山小学校にそれぞれ転勤させる手筈であつたこと、及び昭和二九年四月原告欠勤の際休職を勧め補充の教員に教鞭をとらせたことは認めるが他は否認する。右勧めたのは教員数の少い川田山小学校で長く休まれるのは教育上支障を生ずること及び休職になれば代りの教員を配置されることからで別に他意あつたわけではない。なお原告に地方公務員法第二八条第一項第三号に該当する事由のあることは次に述べるとおりである。

(イ) 教育公務員たるものが県外に旅行するには所轄教育委員会の許可を要しその手続方注意をうけたにも拘らずこれに従わず昭和二九年七月二一日から八月二九日迄被告委員会の許可なしに玉川学園大学課程国文科の通信教育面接授業を受けに私用で県外旅行をした。

(ロ) 昭和二九年九月一日十六日、一〇月三〇日、一一月八日、昭和三〇年一月一四日一七日一八日、二月一一日一三日いずれも無届で早退し、特に右二月一三日は学芸会当日であつたが会場整理も手伝わずに帰つたほか、昭和二九年七月一六日には投票をしないのに石井町農業委員選挙投票のためと又同年一〇月七日から同月二八日迄は医師の診断をうけないのに医者に行くためとそれぞれ虚偽の理由で早退し、右二八日校長から診断者の提出を求められたのに応じなかつた。

(ハ) 校内事務分掌で出勤簿の係であつたところ、昭和二九年九月頃公簿である出勤簿中同年四月から八月分迄を抜取り隠匿して校長の再三の要求にも拘らず容易に提出せず又同年八月二一日の欠勤をほしいままに賜暇と書き換えてそれ以後同月二七日迄の欠勤を賜暇であるかのように訂正擬装し、更に同年一〇月七日から同月二八日迄及び昭和三〇年一月一四日一七日一八日の各早退を無断抹消した。

(ニ) およそ学校の時間割は児童の保健心理を勘案作成されるものであるが、昭和二九年一〇月無断でこれを変更し校長の注意にも拘らず約一月間改めなかつた。

(ホ) 昭和三〇年二月一〇日被告委員会が学年末教員定期異動のための個人調査表を同月一二日迄に提出するよう指示したのに独り従わず、再度の督促及び個別面接の要求にも応ぜず、前記異動の基礎となるべき県内教員組織表の作成に多大の支障を来した。

(ヘ) 昭和三〇年三月三一日徳島県教育委員会が教員異動に関する秘密会議開催中自己の身分保全運動のため無断入場して退去を肯んじなかつた。

(ト) 昭和二九年九月一一日被告委員会教育長代理が来校面会を求めたのに応ぜず児童の面前で常態を逸する反抗的態度をとつた。

(チ) 昭和二九年六月一一日徳島大学での研究発表会に参加のため臨休したのに参加せず児童のいない学校へ登校した、

(リ) 昭和二八年八月武田安一の飼犬に咬まれたことからこれを狂犬病の虞があるとして保健所に連行したまま返さなかつた。

(ヌ) 川田山、津田各小学校勤務当時朝食をとるひまがなかつたといつて児童に自習させその面前で弁当を食べていたことがあつた。

(ル) 津田小学校へ転勤する際当時結婚するとその土地へ転出させることになつていたところから婚約の事実もないのに徳島市内で結婚すると偽りの申出をした。

(オ) 津田、浦庄各小学校勤務当時授業開始のベルに遅れて教室へ入つた児童を外に出し運動場で駈足させる等苛酷な態度をとつて畏怖されたり、又授業中に遅進児や宿題をしてこない子に自分の自転車掃除をさせたり、児童に小使室から湯を運ばせて自分の頭を洗つたりした。

(ワ) 浦庄、高原、石井各小学校勤務当時、勤務時間中に無断で学校を離れたり遅刻して来たりすることが屡々あつた。

(カ)浦庄、石井各小学校勤務当時知名人の子弟のいる学級担任を希望したり、理由もなしに児童の取扱いを差別したようなことがあつた。

(ヨ) 石井小学校勤務当時命ぜられた担任学級の変更を要求して校長の止宿先へ赴き病気と称して一昼夜飲食もせずに居坐つたり父兄から嫌悪されたりして担任外教員となるを余儀なくされたことがあつた。

以上の事例からも明らかなように、原告はその在職期間を通じ独断的非協調的で上司の命に従わず又児童に愛情を以つて臨まず父兄の信望を失うことが多かつたのであつて、教員としての適格性を欠くものというべきである。

(三)  叙上の次第であるから本件免職処分は正当であり原告の請求はその理由がない。

第四、被告第三の(二)の主張に対する原告の反駁

(1)  右(1)につき、本件処分はその通知書が原告に到達したことによりこれに記載されたとおりの内容が定まり被告委員会と雖もほしいままに改変し得なくなつたのであるから、たとえその後訂正通知がなされたとしてもその効力はない。

(2)  同(2)につき、被告主張の会議議事録なるもの (乙第一乃至第三号証)は原告第二(二)(2)主張の如き事情で後日作成された虚構のものであるばかりでなく、それには同主張の如く出席委員全部及び調製職員の署名もないから、これを以つて前記決議の存在を認めることはできない。

(3)  同(3)につき被告主張の告示書なるもの(乙第一三号証の二乃至四)は前記議事録同様後日作成されたものであり、然らずとしてもそれには作成乃至掲示日時の記載がないから、これを以つて法定期間をおいた適法な告示があつたとすることはできない。

(4)  同(4)につき

(イ)  同(イ)の事実中、被告主張の面接授業のためその主張の期間県外に旅行したことは認めるが、事前に県教育委員会管理課長被告委員会教育長代理迄届出又校長の許可も得ていた。

(ロ)  同(ロ)の事実中、被告主張の日に早退したこと、二月一三日が学芸会であつたこと、七月一六日の早退事由及び当日投票しなかつたこと、一〇月二八日の診断書提出要求は応じなかつたことは認める。これら早退はいずれも校長又は教頭の了解を得ており学芸会の会場整理は当初の予定どおり翌日した。又投票は入場券を忘れたためできなかつたので投票の意思がなかつたのではなく一〇月七日から二八日迄の早退は病気休養のためでそのとおり届け医者の手当もうけていた。次に診断書の提出を拒んだのは本来早退に診断書の提出義務がないばかりでなく、同校長にはその前四月頃原告の提出した肋間神経痛脳充血症の診断書を精神分裂症だ等とわい曲口外されたことがあつたので再び同様の中傷をうけることを虞れたからである。なお叙上早退はすべて正規の授業は勿論校内事務等も全部済ませた上でのことであるから、たとえ届出の点に不備があつたとしても深く咎められる程のことではない。

(ハ)  同(ハ)の事実中、出勤簿の係であつたこと及び被告主張の出勤簿を保持して校長に見せなかつたことは認める。右保持は(イ)の旅行期間の取扱いに疑義があり県教育委員会の判断を仰ぐためであつた、又被告主張の如き書き換え擬装の事実はなく、早退の抹消は一般に早退を出勤簿に記載しない取扱いであつたところから教頭が校長の了解を得てしたのである。

(ニ)  同(ニ)の時間割変更の事実は否認する。

(ホ)  同(ホ)の事実中被告主張の調査表を期日迄に提出せず督促面接の要求に応じなかつたことは認める。右は原自身転勤希望告の是非を決めかねていたことと被告委員会が原告に悪感情をいだいているような気配が看取されたためで、その後三月九日に提出した。なお右調査表は当該本人の利益のためにするもので別段提出の義務等なく校長が適宜記載して提出しても差支えないのであるから、いずれにしてもさして非難される程のことはない。

(ヘ)  同(ヘ)の事実中、当日徳島県教育委員会会議場に入場したことは認めるが、予め案内を乞うた上でのことで秘密会であること等はその注意もなく判らなかつたし勿論退場を拒否したようなこともない。

(ト)  同(ト)の事実中、当日面会に応じなかつたことは認める。しかしそれは授業中呼ばれたためで、むしろ呼びにきた校長の方が「命令に従わないのか」等と児童の前で常軌を逸した態度をみせたのであり原告が非常識な言動をしたことはない。

(チ)  同(チ)の事実は認める。但しそれは日直にあたつていたからである。

(リ)  同(リ)の事実は認めるが、犬を連行したのは飼主了解の上であり返さなかつたのは保健所で解剖したからである。なお原告は気の毒に思つて代りの犬の提供を申出た程でこのことは当時円満に解決済みである。

(ヌ)  同(ヌ)乃至(ヨ)の事実はすべて否認する。なおこのうち(ヌ)の川田山小学校時代以外の分は準備手続終結後の主張で民事訴訟法第二五五条により主張自体許されないものであるのみならず、かかることは本件処分当時は勿論その後も問題とされていなかつたのである。

なお以上のうち昭和二九年一〇月六日以前の分については同日県教育委員会渡部主事被告委員会大谷教育長代理の斡旋で既往のことは問題にしない旨の話合いが田中校長との間にできているし、大体公務員の適格不適格は当人の素質能力性格等からみて公務員に適しない色彩乃至しみが付着し且つそれが簡単に矯正し得ない程度に迄達しているか否かによつて決すべきで、たまたま上司の命に従わないことがあつたといつて直ちに不適格とは断定し得ないのであり、原告は在職一三年の間分限懲戒の処分をうけたことは一度もなく教員としての適格性に欠けるところはなかつたのである。

第五、証拠略

理由

原告が昭和一七年国民学校初等科昭和一九年同本科各訓導の免許状を、又昭和二四年小学校中学校各教諭二級普通免許状をうけ、昭和一七年以来教員として徳島県下の阿川、石井、高原、石井、浦庄津田(徳島市内)の各国民学校小学校を歴任の上昭和二八年四月県下川田山小学校勤務を命ぜられ奉職中、昭和三〇年四月一日付で被告から免職の処分をうけたことは当事者間に争いがない。

そこで右処分の効力について原告主張の各点を順次考察する。

第一、本処分の理由について

昭和三〇年四月一〇日原告に到達した本件処分通知書に地方公務員法第二八条第三項により免職する旨の記載のあつたことは当事者間に争いがなく、地方公務員がその意に反して職を免ぜられるのは地方公務員法第二七条により同法第二八条第一項第一号乃至第四号所定の事由ある場合に限られることは法文上明白であるところ、成立に争いのない乙第一四第一六号証の各二証人大谷福一(第一回)、早雲義夫、横田好雄の各証言により成立の認められる乙第一乃至第三号証、証人大谷福一(第二回)の証言により成立の認められる乙第一四号証の一、第一五号証第一六号証の一に右各証言を綜合すると、被告委員会では原告につき昭和三〇年三月二六日地方公務員法第二八条第一項第三号による免職の、同月三一日右免職処分を翌四月一日付でなす旨の決議がそれぞれされたこと(この点更に後述する)、同月二四日右条項を記載した処分理由説明書が原告に送付されたこと、前掲通知書は右決議に基くものでその条項は被告委員会係員が書き違えたものであること。及び被告委員会では同月二八日付三〇日到達の書面で原告に右通知書の誤りを通報するとともに条項を訂正した四月一日付免職処分通知書を再送付した等の事実が認められ、本件処分が実際は地方公務員法第二八条第一項第三号に基くものであつたことが明らかである。原告本人尋問の結果中訂正通知書受領に関する部分は叙上の各証拠に徴し措置できない。そして行政庁の処分行為が書面でなされたときはその書面記載のとおりの処分であつたとするのが通常であるが、右表示に誤りがあつたからといつて必ずしも該処分全体が無効となるわけではなく、これを是正して本来の処分の効果を生ぜしめることも原則として可能である。殊に本件のように処分についての適用条文を書き違えたことは法文を対比検討することによつて容易に看取できるのであるからこれを訂正しても被処分者である原告に対し実質的不利益を及ぼすものとも認められないのでこれを訂正することができるものと解する。よつて本件免職は少くとも前掲訂正通知により本来の決議どおりの効果を生ずるに至つたというべきである。

第二、免職の決議について

被告が原告に退職願の提出方を勧告し右勧告が本件処分発令日付の後である四月六日にもなされたこと及び本件処分通知書が同月八日になつて発送されたことは当事者間に争いがない。しかしながら原告に対する免職の決議があつたことは第一掲記のとおりで、前出乙第一乃至第三号証、証人中島晃、早雲義夫、横田好男、安部忠明森根辰雄、近藤一雄、大谷福一(第一、二回)の各証言を綜合すると、原告の川田山小学校における後記の如き行状を検討した被告委員会は原告が教職員としての適格性を欠き処分に値いするものと認めたがひとたび免職処分を受けたとなれば原告の将来に大きく影響を及ぼす虞れがあると認めたのでもし管外へ転出することにより反省する機会を与えて再び教職員としての適格性を回復することにでもなれば原告のためにも最上の策なりと考え管外へ転出させるよう試みてみたが徳島県外び他の市町村教育委員会もつとに原告の勤務振りを知悉していたためその斡旋受入れに難色を示し容易に実現しなかつた、そこで被告委員会としては最終的には免職処分もやむをえないとしても、なお原告の立場をおもんばかり昭年三〇年春の学年末教員定期異動にあたり更に原告の管外転出に努力するとともにできるだけ任意退職するよう依然受入先はなく又原告が退職勧告を強く拒否するのでついに前掲二六日の決議をするに至つた次第であるが右会議の大勢はなお最後の機会としてもし原告がほん意して先きの勧告を受入れ退職願いを提出するならば既になされた免職決議を取消し改めて依願退職の承認発令をするを可とするような空気があつたので三一日の決議後も被告委員会委員や教育長代理等が重ねて原告方へ赴き勧告したが原告がこれを拒否し全然ほん意の態度を示さないので被告はついに本件処分通知書を原告に送付するに及んだこと、又被告に指導助言をなし得る立場にある県教育委員会はこの間原告の在職を不適当としながらも始めは被告委員会同様原告の体面等の点から依願退職を望ましい措置としていたがやがて免職相当との見解をもつようになり前示決議を支持するに至つた事実が認められる。そうすると以上の決議はその後の取消変更の期待乃至可能性があつたにもせよ兎も角真実免職の処分効果を発生させる意図の下になされたというべきである。

原告は前出乙第一乃至第三号証は後日作成された虚構のものと主張するがその余の前掲各証拠及び検証の結果からしても同号証は叙上決議の被告委員会会議議事録と認めるのが相当である。もつともこれら議事録に早雲、横田正副委員長以外の出席委員や調製職員の署名のないことは右乙号証及び証人大谷福一(第二回)の証言から明らかであるが、かかる欠如が当時施行の教育委員会法(昭和二三年法律第一七〇号)に基く会議規則に反するとしても、その故に右議事録を採証の用に供し得ないとか事実上行われた決議の存在を否定せねばならないとのいわれはないし、又証人近藤一雄の証言から窺われる当時新聞に原告が退職と発表掲載されたこと(依願退職の発表記事があつたことは証拠上認め難い)、或は前出乙第一六号証の一や検証の結果から各認められる本件処分理由説明書及び昭和三〇年三月末教職員異動協議書に退職なる文言の記載があることも、右証言乙号証からしてそれら退職が単に依願退職を指称するものとはなし難いのであつて、以上及び前記協議書の日付が三月三一日であることや原告本人尋問の結果を以つても冒頭掲記の各証拠にかんがみいまだ前掲決議に関する認定を左右することはできない他にこれを覆えすに足る証拠はない。

次に証人大谷福一(第一、二回)の証言及び検証の結果により前叙各会議の告示書同緩表紙と認められる乙第一三号証の一乃至四に右証言を綜合すると右会議につきそれぞれ告示のあつたことが認められる。もつともこれら各告示書に掲示日時の記載のないことは右乙号証から明らかであるが、この一事を以つて直ちに右各告示が旧教育委員会法第三四条第四項に違反してなされたとすることはできず、前掲各証拠及び前出乙第一乃至第三号証から認められる叙上各会議のときは原告以外の教員の定期異動問題も論議されその開催が早期に予定されていたと思われること等をあわせ考えると、やはり右各告示は法定どおりの期間をおいて行われたとみるのが相当である。そして前段掲記の議事録の署名の点だけから叙上会議の成立進行そのものが不適法になされたと言い得ないこと勿論で、他に以上の認定を覆えすべき証拠はない。

第三、不適格性の有無について

原告が

(イ)  昭和二九年七月二一日から八月二九日迄玉川学園大学課程国文科の通信教育面接授業を受けるため県外旅行をしたことは当事者間に争いがなく、証人田中久夫(第一回)の証言により成立の認められる乙四号証の一、第五号証、証人田中久夫(第一、二回)大谷福一(第一回)、中島晃、丸岡正夫、安部忠明、近藤一雄の各証言によれば、前記旅行は私用のものとして校長及び所轄教育委員会の承認許可を必要とするところ、原告はその手続方及び期間を二学期始業の関係上八月二〇日迄とするよう田中校長から注意されながらこれに従わず、県教育委員会管理課長宛の旅宥行願を直接被告委員会(当時三山村教育委員会。昭和三〇年一月町村合併により山川町教育委員会となる。以下同じ。)大谷教育長代理私宅迄使いに届けさせたまま正規の承認許可を得ないで右旅行をなしたことが認められる。原告本人尋問の結果も右認定を覆えすに足らない。もつともかかる受講目的の旅行は適式の申請さえあれば期間の点は兎も角旅行自体の承認許可は与えられる筈であつたことが前記各証拠から認められるけれども、このことを以つて本件無許可旅行を正当化することはできない。

(ロ)  昭和二九年七月一六日九月一日一六日一〇月七日から二八日迄三〇日一一月八日昭和三〇年一月一四日一七日一八日二月一一日一三日それぞれ早退したこと、右七月一六日の早退は石井町農業委員選挙投票のためとの理由であつたが当日投票しなかつたこと、一〇月二八日校長から診断書の提出を求められたのに応じなかつたこと、二月一三日学芸会が行われたことは当事者間に争いがなく、前出乙第四号証の一、証人田中久夫(第一回)の証言により成立の認められる乙第四号証の二、証人田中久夫(第一、二回)、大谷福一(第一回)、宮本章子の各証言によれば、以上の各早退中七月一六日及び一〇月七日以降二八日迄の名以外はいずれも田中校長の再三の注意にも拘らず敢えて届出なしになされたこと、一〇月七日以降二八日迄の分もただ「医者に行くので当分早退する」旨書いた紙片を田中校長の机上に残しただけで爾後病状等の報告もしなかつたこと、二月一三日は会終了後予定どおり職員等協力して会場の後始末をしたが原告はそれもしなかつた等の事実が認められ、原告本人尋問の結果を以つてもこれを覆えし難い。しかしながら前期七月一六日の早退の際当初から投票の意思がなかつたとの点及び一〇月七日以降二八日迄全く医師の診断をうけなかつたとの点即ちこれら早退が虚偽の理由でなされたとの点はその形式内容等から真正に作成されたものと考えられる甲第三号証原告本人尋問の結果に徴し証拠上確認するに足らない。

なお原告は以上の早退は正規の授業及び校内事務完了の上のことであると主張するがたとえそうであつたとしてもその後予定しない用務の起る可能性は充分であり、又証人田中久夫(第一回)、丸岡正夫の各証言によれば早退届出は原則として容認され診断書の提出等も必要としないのが通例であつたことが認められるけれども、それもその程度事由乃至校務の都合等にかかるのは当然で、特に叙上の如き早退が続いた場合校長が校内管理監督の職責上診断書の提出を求める等の方法によりその事情を明確にする措置をとるのは相当であつて原告主張のような中傷又はその虞があつたこと等は原告本人尋問の結果によつても認められないし、いずれにせよこれらことを以て前記原告の無届早退や診断書提出拒否等の行動を是認することはできない。

(ハ)  校内事務分掌で出勤簿の係であつたところ昭和二九年八月頃同年四月から八月迄の出勤簿を保持して校長にも見せなかつたことは当事者間に争いがなく、前出乙第四号証の一、二成立に争いのない乙第九号証の一乃至五、証人田中久夫(第一、二回)、大谷福一(第一、二回)渡辺俊向の各証言によれば原告は(イ)の旅行期間中の八月二一日以降の分が欠勤になつているのを不満として前記出勤簿部分を抜取り一月余の間他に隠匿して校長等の再三の要求にも拘らず返還せず、又右二一日の欠勤を賜暇と書換えて以後同月二七日迄の欠勤を賜暖暇の如く訂正擬装し、更に(ロ)の一〇月七日から二八日迄一月一四日一七日一八日の各早退を無断抹消したことが認められ、原告本人尋問の結果によつてもこれを左右し得ない。原告は右隠匿書換えについては前記旅行期間の取扱いに疑義があり抹消については本来早退は出勤簿に記載しない立前であつた旨主張するがその然らざることは(イ)の認定及び前掲各証拠から明らかであり、又右証拠によれば昭和二九年一〇月六日叙上出勤簿の隠匿等に困却した田中校長や被告委員会大谷教育長代理等が前叙八月の欠勤を賜暇にするよう取計う旨原告に話したことが認められるけれども、このことを以つてそれ以前からなされた出勤簿の隠匿や原告自ら許可なしになした書換えの所為を正当とすることはできない。

(ニ)  証人田中久夫(第一、二回)の証言によれば、昭和二九年一〇月頃正規に定められた授業時間割を自己の都合で繰上繰下打切等をすることが多く校長に注意されても改めなかつたことが認められる。

(ホ)  昭和三〇年二月被告委員から提出方指示された学年末未教員定期異動のための個人調査表を期日迄に出さず再度の督促及び個別面接の要求にも応じなかつたことは当事者間に争いがなく、前出乙第四号証の二、証人田中久夫(第一、二回)、大谷福一(第一二回)、中島晃、丸岡正夫、近藤一雄の各証言によれば、右調査表は教育委員会が人事異動の参考資料として例年徴収するものであること及び原告は校長の注意に対しても単に考慮中というのみで勿論記載提出方一任もしなかつたことが明らかで、原告主張のように転動を希望するか否かの決心がつかず又法律上提出の義務がないからといつてその提出や面接による意見の表明迄拒むことは全般的異動計画樹立の円滑を妨げる不当な所為といわねばならない。

(ヘ)  昭和三〇年三月三一日徳島教育委員会の教員異動審議会場に入場したことは当事者間に争いがない。そして証人岡正夫、安部忠明、森根辰雄の各証言によれば右会議は秘密会であつたことが認められるけれども、原告がその秘密会議中にこれを認識しながら無断入場し且つ退去を肯んじなかつたとの点は前記各証言があいまい又は伝聞で俄に断定し難く他にこれを確認するに足る証拠がない。

(ト)  昭和二九年九月一一日被告委員会大谷教育長代理の面接要求に応じなかつたことは当事者間に争いがなく、前出乙第四号証の一、証人田中久夫(第一、二回)、大谷福一(第一回)の各証言によれば、右面接要求は(イ)の県外旅行についてで拒絶も授業の中断を避けるため等でなく、再度の呼出の上田中校長が授業中の教室迄赴き面接に応ずるよう指示したところその必要なしとして激しく反抗拒否したことが認められる。

(チ)  昭和二九年六月一一日徳島大学での研究発表会に参加するとの理由で臨休しながら参加せず登校したことは当事者間に争いがない。そしてもしこれが原告主張のように日直のためであつたのならば予め参加を取り止めるか日直の変更を申出る等するのが常識であるのに原告がこれらの措置を採らなかつたことは前出乙第四号証の一、証人田中久夫(第一回)の証言からも明らかで、いずれにせよ原告の叙上行動は納得し難い。

(リ)  昭和二八年八月武田安一の飼犬に咬まれたことから狂犬病の虞があるとしてこれを保健所に連行したまま返さなかつたことは当事者に争いがなく、その形式内容等から真正に作成されたものと認められる甲第四号証及び証人田中久夫(第一回)武田安一の各証言によれば、右犬は当時鴨島保健所で解剖し狂犬病がなかつたこと、武田は責任上保健所に連行することは了承していたが解剖迄することは予想もせず、その後の返還要求に原告があいまいな言辞を弄して遷延した挙句逃げたと称して使いに他の犬を連れて行かせたためその不信義に憤慨して校長等に苦情を述べたことが認められる。原告主張の円満解決の点はその本人尋問の結果によつても叙上各証拠に照らし認められない。

(ヌ)  証人田中久夫(第一、二回)、近藤肇、長江義、雑賀二良、西浦栄一の各証言によれば被告主張(ヌ)乃至(ヨ)の事実及び石井小学校勤務当時校長の指示に反して自己の欲する学級でほしいまま右授業を行い教室の戸に突張り等して担当教員を締めだした等の事実が認められる。

以上の諸事実((ロ)の虚偽の理由で早退したとの点及び(ヘ)を除く)に前出乙第四号証の一、二、証人田中久夫(第一、二回)、大谷福一(第一回)、近藤肇、長江義、雑賀二良、西浦栄一の各証言をあわせると、原告は在職中独自の考えを固執して上司の指示に従わず周囲との協調に欠けることが多く教育の内容方法にも偏頗無理解な点があつて父兄からも信頼を持たれていなかつたこと及びそれらは時とともにむしろ増大する傾向にあつたことが明らかである。そして地方公務員法第二八条第一項第三号にいうその職に必要な適格性とは公務員即ち原告の場合は学校教員としてその職にふさわしい資質を有し行動をなすことであるところ、叙上の諸点からすれば原告はこれを欠くものと認めるのが相当である。当事者間に争いのない原告が昭和二八年四月当初川田小学校でなく種ノ山小学校に勤務する予定であつたこと及び昭和二八年四月欠勤の際被告委員や田中校長から休職を勧められ補充の教員が一時教鞭をとつたこともその当不当は兎も角として、本件処分が原告個人に対するいわれなき悪意乃至差別待遇の結果であるとは前掲各証拠にかんがみ到底認め難く、又証人鈴江伝の原告が阿川国民学校時代学究的で教育に熱心であつたとの証言、成立に争いのない甲第六号証の二から認められる原告が昭和一七年奉職以来本件以外に徴戒分限の処分を受けたことがなかつたこと、或は既述の如き本件処分前被告委員会が原告の管外転出を試みたこと等を以つて叙上の認定を覆えすことはできない。

なお原告は昭和二九年一〇月六日被告委員会大谷教育長代理等の斡旋で既往のことは問題にしない旨の話合いが田中校長との間にできた旨主張するが、前出乙第四号証の二、証人田中久夫(第一回)、大谷福一(第一回)、渡部俊向の各証言からすれば、それは原告が以後再び同様の所業を繰返さないことを前提とするものであることが明らかであり、又(ヌ)認定事実中川田小学校奉職以前のことは準備手続終結後の主張というがその然らざることは一件記録上明白であるばかりでなく、適格性の有無が争いになつている以上これを理由づける具体的事例の如きは処分当時明らかに判断の対象になつていたか(証人早雲義夫、安部忠明の各証言によれば本件処分の際川田小学校赴任前のことも問題になつたことが認められる)或は訴訟当事者において主張陳述したかを問わず裁判所において証拠により認定し判断の資に供し得るのであるから、これら主張はいずれも採用し難い。

以上の次第で原告の主張はいずれも採用することができないから本訴請求を理由がないものとして棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

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